マンハッタン・ベイビー

1982年

ルチオ・フルチの失敗作というのがこの映画の通説のようだ。というのは当初60億リラだった予算が撮影途中で20億リラに減額された上に製作サイドからフルチが予定していた以外のラストを強要されているからだ。つまり妥協の上にできてしまった作品。
しかし、この映画とよく似た映像をみたことがある!と思い当たったのがデヴィッド・リンチのツイン・ピークス&ブルーベルベットだ。
たとえば、映画が50分経過したあたりで、主人公の妻が道を歩いている時に謎の女性に呼び止められ、手紙を渡される。その後で車に乗り込むのだが、道にある看板にカメラの焦点が合い、ショック音が流れる。
このシーン、ブルーベルベットの前半で、ストーリーとその後絡んでこないおばあちゃんが「○○通り」には行くなと忠告した直後に主人公がそこを通りがかってしまい、看板にカメラのアップ、ショック音になるシーンと似ている。直前にも公園で撮影したポラロイドカメラが映らなくて地面に捨てて立ち去ると、カメラがポラロイドに向かってアップになり、撮影したものとは別のモノが浮かび上がるシーンがあるのだが、これもブルーベルベットの冒頭シーン、草地にカメラがズームしていくシーンを思わせる。
あと、ツインピークスのラストでクーパーが異空間に行って邪悪なクーパー(白目のクーパー)と入れ替わるというオチがありますが、このマンハッタン・ベイビーでスージーの弟が光るドアに入って死んだ?と思いきや何事もなかったかのように生きていて、いや実は邪悪な存在に入れ替わっていたという描写があり、近いものを感じます。フルチのビヨンドでは地獄に触れた人間は白目になるという演出もあります。
マンハッタン・ベイビーは1982年の映画であり、ブルーベルベットは1986年、ツインピークスは1991年の作品ですからいくらパクリが多いフルチとはいえこの場合は明らかに違うでしょう。むしろリンチの作風こそフルチからの影響を感じます。

先の草地へのズームする場面も、ブルーベルベットでは草地の先にミミズの群れがあり、フルチのサンゲリアや地獄の門へのオマージュだったのではないかと思います。

しかし、一方でフルチはこの映画でリンチの映画を使ってもいるのです。超常現象が起きるときに、電球がブーンという音を立てて割れるシーンがそれです。また、ストライプのシャツを着た謎のオバサンや、いまいち不安なエレベータ(このシーンはストーリーと関係なく強引に入れている)、銭湯で演奏しているような音質のジャズ等、ショック音響
つまり、僕は1976年公開のイレイザーヘッドをフルチが本作で取り込み、それを観たリンチに奇妙な印象を残し、その結果、リンチの後の作品に影響が現れたのではないかと感じる。実際、リンチはワイルドアットハートではオズの魔法使いを使うなど、案外引用は多い。
それに、整合性の取れず、散りばめられた謎が解決することの無い悪夢のような世界観も似ているのです。 ルチオ・フルチのインタビューによると映画は悪夢のようなものとも語っていて、整合性が取れなかったのではなく、監督は整合性を取る努力そのものを放棄していたようです。
考えてみると、マンハッタン・ベイビーから2年後、リンチもまた砂漠の映画「砂の惑星」を撮影している。

さて、マンハッタン・ベイビーそのものに目を向けてみる。

先にもあったとおり、エジプトで悪魔憑きになったスージー(つまりエクソシスト)の弟が異次元に消えて邪悪な存在になるのだが、何者と入れ替わったのかというと、おそらくはフルチの前作、「墓地裏の家」の主人公のようで、前作で少年が遊んでいた玩具がはっきりとわかるように陳列されているのを見せるシーンが出てきます。墓地裏の家のラストで、主人公の少年は亡霊と共に邪悪な存在になることになるのです。つまり、フルチは地獄の門から連続してラブクラフト的世界観を描きたかったのだと思います。ラブクラフトの作品では砂漠の遺跡を舞台にしたものがあります。音楽も諸事情のためにビヨンドのサントラを流用したとありますが、むしろそれによって地獄の門を皮切りに始まったラヴクラフト的世界観を強調する意図があったようにも取れます。とはいえ、氏のラヴクラフトシリーズはプロデューサに愛想つかされたため、描ききることができず、ここにピリオドが打たれた無念の作品とはいえ、上記のとおり奇妙なくらいリンチ的な要素があり、特にリンチファンにも観てもらいたい作品です。